2018.07.06
「エアロハウスの村井さん」と、メキシコの建築家「ルイス・バラガン」
インスタグラム全盛期でも地道にブログを書いている。
こんな長ったらしい記事を読んでくれる人いるかな。
しかもスマホで。
我が家はいま揖斐川町に家を新築中で、
エアロハウスの村井さんという建築家さんに設計をお願いしている。
10年越しのエアロハウスの夢が叶う反面、ローン地獄に足を突っ込む不安もある…毎日もやし生活かな…
それはさておき、
この村井さんという方がとってもダンディーでおちゃめな「おもしろオジサン」なのです。
と言うには本当は失礼で、村井さんがこれまで手掛けた建物は、
資生堂の工場や、有名大学の棟だったり、大きなプロジェクトも任されるような方で、
我が家が村井さんに設計をお願いできていることは奇跡に近いのです。
初めてお会いしたときはコムデギャルソンのマフラーをさらっと巻いておられた。
でもインテリだとか、すかした感じは一切なく、終始笑顔で驚くほど気さく。
話し方も魅力的でいつもわたしは吸い込まれるように話を聞いている。
村井さんは住宅に緊張感は一切必要ないとおっしゃる。お父さんが夏に
パンツ一丁でビール片手に居間でごろごろしててもいいような家が本当は好きなのだそうだ。
エアロハウスは日本の民家がルーツとなっているけど、村井さんはあくまで「モダン」にこだわる。
前川國男、吉村順三建築が少し前から雑誌などでも取り上げられるようになった。
けれど村井さんの前ではそんな名前も軽々しく口にはできない。
なぜなら村井さんの口から出てくる建築家の名前は、村井さんに出会わなければ一生耳にすることのないであろう人ばかりだから。
先日の打ち合わせで「ルイス・バラガン」というメキシコの有名建築家の名前が出てきた。
バラガンは故人だが自邸は残っていて、その中の電話台用のスペースに置かれている椅子の向きが、
生きている頃から何十年も変わっておらず、主なきあとは脚の位置の目印のテープまで貼ってあるらしい。
つまり、その椅子の向きと位置が「あるべくしてある」ということだった。
この話がとても興味深かったので、図書館でルイス・バラガンの本を借りてきた。
建築のことはわからなくても何か得られるものがあるような気がして。
まず、作品を見てみると、一見奇抜なデザインに見えるのだけど
どの作品も、なにかすとんと胸に下りてくる不思議な「安堵感」がある。厳かで、慎み深さも感じる。
そして目に飛び込んでくる鮮やかな色、色、色。
途中何度も「絵」を見ているような錯覚に陥ったりもした。
解説によればバラガンの建築空間は「エモーショナル・アーキテクチュア」つまり「情緒を揺り動かす建築」
という言葉で表現される。
バラガンの住宅は日本建築(寺社や古い日本家屋)と通ずるものがあるらしい。
作品を見て居心地の良さを感じるのはそのせいか。
以下、バラガン自身の言葉をメモ。
【沈黙】
私が設計する庭や住宅には、つねに沈黙の穏やかな囁きが生まれるように、また噴水には沈黙の歌声が響くように心がけています。
【平穏】
平穏とは苦悩や恐れに対する偉大な、そして真の解毒剤です。今日、建築家は、手掛けるその住宅がどんなに豪華なものであろうが、
控えめなものであろうが、この平穏ということをその中に絶えず存在させなくてはなりません。これまでの作品を通して、
私はつねに平穏を空間のなかにつくりだすようにしてきましたが、さまざまな要素を無節操に取り入れて、
このことを壊すことのないように細心の注意を払うべきです。
【美】
(中略)美を奪われた人生は、人生と呼ぶに値しない。
【ノスタルジー】
ノスタルジーとは、ひとりひとりが思い出に対して抱く詩的な認識のことです。芸術家にとっては、自分自身の過去の思い出はその創造力の根源となります。
私たちは真実の美によって励まされた仕事を続けていきたいと思います。素晴らしい生活をつくりだすことにおいて、美を求めることは、人間の存在に威厳をもたらすことに少なからず貢献できると思います。
そして彼の生きる主題は「ヒューマン・ライフ」。これを築くことが建築家の課題だとした。
「ヒューマン・ライフ」とは以下の4つ。
「自然の法則に則ること」「植物のように成長力をもつこと」「直感的であること」「霊的であること」
また、バラガンの人柄としては以下のように書かれていた。
驚くほど謙虚で、寛大でやさしさにあふれた人物だった。よくない風評をでっちあげる連中に悩まされることはあっても
いつもそれをすぐ忘れてしまう。だれをも憎らしいと思わない特殊な寛容さがあった。それはまるで「修道僧」のようだった。
学生時代、決して優等生ではなかったがそれを補うような特別な才能を持っていた。
それは「コモン・センス」…神が謙虚な人々に与え給うた特別な美徳。
バラガンの解説本のはずが、読めば読むほどわたしの中で神がかって謎めいた人物になってしまった。
わたしはデザインの仕事をしているけれど
デザイナーも画家も建築家も結局はみな「表現者」で、アートとデザインの区別は曖昧だと思う。
違いと言えば、売れなくてもかっこいいのは画家だけかな。
そして一流の人はいつも哲学している。
デザインの仕事は、見た人の心に訴えかけ、何らかのアクションを起こさせなければいけない。
けれど単に「ファッション」としてのデザインでは、一時的に感情をゆさぶるだけで、すぐに飽きられてしまう。
どうすれば、見ている人の心にすっと入り込めるか、いかに距離を縮められるか。
平穏や沈黙、この言葉の中にヒントが隠れているような気がする。
バラガンの本を読んで、勇気をもらった。
これからもわたしは、誰も気づかないような細部にこだわっていくと思う。
そしていつも自分のつくるデザインは、見る人を突き放していないだろうか、そう思って線や色と向き合っていきたい。